生活クラブの組合員になって6年目です
娘は医療ケアが必要な状態で生まれ、2歳までは口からミルクや食べ物を採ることができませんでした。
人工ミルクや必要な栄養剤を、鼻から胃に通したチューブで、1日に5~8回点滴していました。
生後まもなくは胃も小さく、ゆっくりと少量頻回で与える必要があったので、親と祖父母が交替で寝る間も惜しんで付き添っていました。
数回の手術を乗り越え、元気に回復した娘。家族の食事する姿をうらやましそうに見たり、手を伸ばしていました。
「飲み込む力もついたし、口から食べさせてみよう」
誤嚥しないように、最初に与えたのは極小のおにぎりだった記憶があります。
(当時のことは身体も心もきつくて記憶があいまいです)
一口だけ口に入れ、小さな歯と舌ですりつぶし、ゴックンと飲み込んだ時の、娘の満面の笑み。
「この子の身体に入る物のことは、ていねいに考えよう」
そう思いました。
そこから生活クラブの組合員となり、今でも仲間としてつながる方と知り合うことができました。
機関誌‘チュプ’への寄稿
恵庭支部の担当理事をしているTさんから、「発信したいことがたくさんありそうだから、寄稿してみませんか?」と声をかけていただきました。
障害のある子と家族が学ぶ場所を自分で決める、それを後押しする。
私が活動を続ける希望の源になったストーリーを、人に伝えるために文章化していたので、チュプの読者さん向けに編集し、寄稿しました。
自分にできる事を続けたら、道は開ける
自分の価値観や選択、希望の源について語り、相手と関係構築をするために、このストーリーを2分のスピーチにしています。2024年2月には、コミュニティ・オーガナイジングのオンラインワークショップでコーチを務めた際に、見本として参加者の方に伝えました。
だれにでも、幼い頃に培われた価値観があり、自分の行動によって道が開けた経験があるのではないでしょうか。
私の場合は、「共感してもらえるのを待ってからやる」のではなく「やるから共感が集まる」ことの手応えをつかみかけている段階です。大多数に耳を傾けてもらえなかったとしても、共感してくれる人が一人でもいたら、ワラのようなつながりを、徐々に太くして丈夫な縄にしていけば良いのだと思います。