命の出会いと別れを今、思う
15年間暮らした犬のsenは、今、わが家の桜の木の下で眠っています。
この夏、新しい動物の命を迎えようとするタイミングで、こうして言葉に残すことができました。
子育てと同時に始まった、子犬との暮らし

長男の誕生と同時に迎えた子犬。
初めての子育てをしながら、子犬と暮らすなんてできるかな?
家族が大けがしたり入院したり…。何かあると実家に預けて頼っていました。
子育てに時間に追われ、座る時間もない日、だれにも相談できず苦しい時間がありました。
「ともにある。」ことへの気付き
そんな時、senはずっとそこにいました。子育てに自信を失ったとき、そこにいる命が怖いと感じることもありました。
あるとき、散歩や食事のお世話をする息子を、senが逆に見守ってくれているように見えました。
苦しいとき、忙しいときに、手を貸してくれるわけでも、突破口を開いてくれる訳でもない。
ただ「ともにある。」ことに気がつきました。

何も言わず通じ合う時間
私は食事やトイレのお世話をほとんどせずに、子ども達の仕事にしていました。
成長すれば下の子がお役目。毎日外に連れ出す。
ある静かな夜。息子とsenが何も言わず、何もせずにただそこにいて通じ合っている時間がありました。

待っていてくれた最期の時
心臓を弱くして、ここ数年の夏の暑さにsenは体力を落としていきました。
「いっしょに過ごす時間はずっと続かない。」
一時も目を離せなくなった時、私は仕事を調整して家で見守りました。
高く飛べなくなり、外に出られなくなり、ご飯を食べられない日。
それでも立ち上がろう、生きようとする姿を見せてくれました。
冷え込み厳しい11月のある日、一晩こらえてくれました。
翌朝、家族5人が全員揃っているほんの短い時間に、最後の力を振り絞って吐き出した息が最期となりました。
ずっと家族
私たちは、senが動かなくなっても「行ってきます」「ただいま」と、そこにいるように接していました。
子ども達は学校でこのことを誰にも話しませんでした。
家では…
「どこへいくの?いつものケージにいない」
「亡くなったおじいちゃんの所?きっと一緒にフリスビーで遊んでいるね」
「たくさん撮った写真をあつめてアルバムを作ろうか」
そうして作ったアルバムは、家族の歴史そのもので、苦しい時期はページも少なく、幸せな時期は笑顔もはじけています。

おわりに -命の出会いと別れ、ともにあることの価値-
いつも過ごしていたケージの横に、遺骨を置いて、ひと冬話しかけて過ごしました。
7月に、家の庭の桜の木の下に穴を掘って、遺骨を埋めました。
遠出から帰ってくるとき、「帰ってきたよ」と話しかけます。誰よりも早く、家族が帰るのを察して待っていてくれたから。
senが土に還り、わが家には動物がいなくなりました。
「生き物と暮らしたい。」 子ども達の日々の要望を、私も外に伝える様になり、新しい命を迎えるチャンスが来ました。
「家族みんなで育てる」「病気があっても構わない」そんなことを口にします。
そこでようやく、このことを言葉にできるタイミングがやってきたのです。
命には出会いと別れがあること
命が今、ともにあることの価値
新しい命を迎えるに当たり、子ども達の体にちゃんと染みこんでいるようです。
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ともにあること。
障がいのある娘が生まれ、一緒に暮らすなかで日々教わっていることです。
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