- 外出もできない生活はいつまで続くの?
- 重複障がいが見つかった。何を優先したらいい?
- 家族以外に、助けてくれる人はいるの?
こんな疑問を持つ方に、私の経験をお伝えします。
外出もできない生活はいつまで続くの?
答え
本人と家族のタイミングで、2歳で卒業しました。病院のアドバイスを参考に、子どもの様子を良く見て、「大丈夫」と思えたときに決めました。
理由
子どもが一番自分のことを知っています。良く見ていると、何がしたいのか、何ができるのかがわかってきます。
具体例
日常で大変だっケアは、経管栄養(鼻から胃に入れたチューブから流動食を与える)でした。娘は心臓に疾患があり、飲み込む力が弱い状態でした。
流動食の必要量と回数は体重を元に決まり、最初は1日に8回(3時間おき)から始まりました。0、3、6、9、12、15、18、21時に、缶をあたため、点滴をセットし、1時間かけて栄養を与え、消毒。それの繰り返しで、寝るひまもありません。ベビーベッドの横で点滴がポタポタと管を流れる時間が、永遠に感じました。
とは言っても・・・。
1歳、2歳と年を重ね、娘は家族が食事をするのをじっと見て、うらやましそうに手を伸ばすようになりました。
「飲み込む力もついたし、口から食べさせてみよう。」
気道に入らないように固形の物をと、小さなおにぎりを出すと、一口だけ口に入れ、小さな歯と舌ですりつぶし、ゴックンと飲み込んだ時の、娘の満面の笑みが忘れられません。
病院から、経管栄養の指示は出ていましたが、その喜びようと、飲み込み方を見て、「口から食べる時期が来た」と思いました。
そこで、入院中の病院食のカロリーをもとに、口からの食事でも、栄養が十分に取れていることを確認し、「鼻のチューブはもう止めます。」と、病院で伝えました。
口から様々な食べ物を噛んで食べるようになってから、身体の成長もめざましく、「もう大丈夫」と感じることができました。
結論
笑顔で生活できることを大切にしたいです。病院のアドバイスを聞きながらも、お家での生活の様子で子ども本人と家族が主体的に考え、できない部分、危険が伴うところを専門家にサポートしてもらうと良いと思います。
重複障がいが見つかった。何を優先したらいい?
答え
まず「命」、次に「生活」を優先しましょう。
具体例
娘が掃除機の音でも起きないことに気がつき、1歳で難聴がわかりました。
耳鼻科からは「なるべく早くに補聴器を。」「療育なら、ろう学校の乳幼児クラスを。」とのアドバイスでした。早期療育が大切だという考えは、理解したつもりでいました。
とは言っても・・・。
1歳の娘は、経管栄養の鼻チューブと、心臓を補う酸素チューブを顔にテープで貼っていました。テープに負けて肌はかさぶただらけでした。小さなお顔に、補聴器を付けると、嫌がって全ての器具を外してしまいます。
車で1時間のろう学校に、何度か足を運びました。経管栄養の道具、と酸素ボンベ、オムツセットを抱えて。
ろう学校の乳幼児クラスは、娘のように重複障がい(知的+難聴など)のある子は少なく、同年代の子が走り回ったり手話を吸収していく中、娘はハイハイで手話を使う手の動きもゆっくりでした。
次第に足が遠のき、あれもこれも欲張るのはやめよう、と心臓の治療に専念することにしました。
結論
命にかかわる心臓の治療を優先した結果、手術を終え退院するタイミングで、経管栄養も必要としなくなりました。
難聴や知的障がいによる言葉の遅れを心配しましたが、地域で言葉の療育を受けたり、就園での集団生活で、4歳を過ぎて言葉が溢れるようになりました。
また、一度はあきらめた手話ですが、ろう学校でその魅力を知り、今では地域の方に手話の楽しさを知ってほしくて、親子向けの手話の会を開いています。
まず「命」、次に「生活」を優先し、あせらずに進んで良かったと思っています。
家族以外に、助けてくれる人はいるの?
答え
頼れる人を探して、できることは全て頼りましょう。
理由
一人でも多くの方に、「こんな子が地域にいる」と知ってもらうと良いです。子どもが成長し、地域で生きていくにも、小さなことで頼れる人を見つけることが大切です。
具体例
入院中の病院にはソーシャルワーカーさんがいて、保健師さんなど地域生活を支える方を集めてケース会議を開いて下さいました。退院直後は、経管栄養のチューブの入れ替えが不安で、訪問看護ステーションの看護士派遣を頼みました。シルバー人材センターには家事を依頼、ファミリー・サポート・センターには、きょうだいの送迎を依頼しました。
血中酸素濃度を下げないように、酸素吸入器とボンベを手配しました。それでも下がったときに慌てないで救急車を呼ぶために、「119番で伝えることリスト」を壁に貼りました。
経管栄養は夜中にも必要だったため、両親のほか祖父母にも協力してもらいました。
鼻の穴から胃までチューブを入れ、聴診器で確認するという、怖さを覚える作業。だからこそ、母親ひとりで抱え込みたくはなく、必死で覚えてもらいました。
何人かでシフトを組むように続けると知恵も集まり、娘が手でチューブを外さないような上着を母が作ってくれたこともあります。度重なる入院の付き添いを、身内で交替できたのも大きな救いになりました。
とは言っても・・・。
医療ケア生活に、祖父母を巻き込んだことで、仕事を辞めることになったり、自宅、実家、病院を何度も往復することになり、大変な負担だったと思います。夫もこれまでどおりフルタイムで仕事をするのが難しい時期もありました。
また、近くに親戚がいないなど、身内を頼れない方もいらっしゃると思います。
結論
家族以外にも頼れる人を探すことが大切です。
「人に迷惑をかけてはいけない」と思ってきた私が、人を頼るには勇気が必要でしたが、頼った先で、「あなたはSOSを出せるから、大丈夫。」と言葉をかけてもらいました。
子どもが成長するにつれ、親だけで抱え込まない大切さを、益々実感しています。
まとめ
娘が医療ケア児だった0~2歳、親と祖父母が交替でケアをしましたが、外出も難しく、卒業する時期を待っていました。
病院に任せきりにせず、卒業する方法と子どものタイミングを、自ら動いて決めることができました。それが、これまでの子育ての方向にもつながっています。
全ての方に当てはまるわけではありませんが、私の経験がどなたかの参考になれば嬉しいです。