- 同窓会に行くのが怖い
- 同窓会って意味あるの?
- 同窓会の幹事って大変そう
そんな風に感じて、高校卒業後、一度も参加したことがありませんでした。
母校では、卒業して約30年が経った代が、幹事を務める習わしがあります。
「できること、やりたいことだけ」と活動に参加して、当初の心配事を上回る、面白い経験になりました。
ホテルでの懇親会。会場は円テーブル48台、400名規模。
懇親会の司会を務めました
幹事期のメインの活動は、毎年開催しているという、懇親会の企画と運営です。
今年5月と10月に、在校生向けのキャリアイベントで司会をつとめた流れで、懇親会の司会を引き受けました。
「怖いと思ったらGO!」
当時のバスケ部仲間と2人で進めるので心強かったです。
引き受けた後に、規模を知って驚愕!
円テーブル48台、400名規模の会場です。
司会席から、端のテーブル席が見えないほど広いです。
昨年度と同じ所と、今年の新しい取り組みがありました。
司会も準備段階から原稿を書き替え、20~90代の幅広い年齢の同窓生に楽しんで頂けるよう、進めてきました。
同期のスタッフは70名超。校歌で不思議な一体感。
当日集まった、同期のスタッフは70名超。
お揃いのグリーンのベースボールシャツを着ています。
30年ぶりにあった同級生は、顔も名前も誰が誰だかわかりません。
それでも、まわりの会話を見聞きするうちに、うっすらと記憶がよみがえってきました。
この規模の司会を務めるのは初めてでした。
一字一句、原稿でセリフを読み上げる役割だったので、悩まずに進められました。
ピアノ演奏の曲名・作曲者名など、言い慣れないセリフは、友達の前で何回も練習しました。
「チャイコフスキー作曲」「プロトニョフ編」「眠りの森の美女よりアダージョ」
これを読んだ方、つっかからずに言うことができるでしょうか?(笑)
プログラムの最後に、校歌を歌いました。
4曲もあり、私たちの代が知っているのは1曲だけでした。
歌詞や曲を耳にすると「あ~歌ってた。」
歌い終えた後は、歓声があがり、会場全体が一体感に包まれました。
同級生だけでの2次会
懇親会が終わった後は、21時よりホテルの別部屋で、遅い食事を取りながら同級生と先生だけの2次会でした。
スタッフは、準備に関わらないで当日のみ参加して来た人がほとんどでしたが、それは一旦置いておいて、再開を楽しみました。
23時から、別会場で朝まで3次会をした人も、20人以上いたようです。
年に1度の同窓会誌の特集「私のバイオグラフィー」に掲載頂きました。
年に一回発行される同窓会誌は、幹事期が担当して編集します。
今年の学校行事や同窓会行事の取材記事、在校生へのインタビューやアンケート、卒業生が所属する企業の広告などがぎっしり詰まった渾身の内容でした。
現、在校生や、住所登録している歴代の同窓生に送付されます。
懇親会会場では、オリジナルのトートバックに入れて、参加者全員に配っていました。
「私のバイオグラフィー」という、同期7名が自分の歩んできた道を振り返るコーナーの一人目に、掲載頂きました。
懇親会の後、お世話になっている先輩から「読んだよ。」と声をかけて頂きました。
『建築家を志した私がダウン症の娘を授かり、どん底からHappyマインドに変わるまで』
タイトルは、このブログのプロフィールと同じです。
「幸せって何だろう?」と悩む、在校生や、卒業して間もない方に向け、今後の進路のヒントや参考になればと投稿したものです。
懇親会の後、数日間、掲載した市民団体のホームページの閲覧数が上がっていて嬉しかったです。
その後
30年ぶりだったにもかかわらず、再開し分かれた後は名残惜しさがありました。
そう感じる同級生も多かったようで、2年○組、〇〇先生の教え子、〇〇部OB、など、いくつもグループラインができて、懐かしい写真や文集などがアップされています。
同窓会は怖い、意味がない、と感じていましたが、幹事を経験してみると、良いことがたくさんありました。
一生に一度の、非日常を味わうことのできた一日でした。